毛利氏の萩移封と城下町作り


萩市郷土博物館

近藤隆彦


平成10年9月28日(月)


関ケ原の敗戦と防良二カ国への移封

萩 築 城

家臣団の配置(支藩と一門)

城下の町割


萩城下町作り関係略年表

慶長 9年(1604) 萩施工事を始める
慶長10年(1605) 城下の侍の宅地を決める
慶長13年(1608) 萩城が完成する
元和 2年(1616) 棟木大横出来る、
慶安 5年(1652) 萩城下町の絵図を幕府に浸出する
延宝 8年(1680) 大水のため田町、塩量町まで水没する、6月から7月まで70日間爾が降り歳.
貞享 4年(1687) 新堀川出来る
元禄11年(1698) 松本横出来る
元禄15年(1702) 大水のため米産町まで水没する
元禄17年(1704) 大水のため米産町まで水没する
宝永 3年(1706) 橋本川、松本川の土手を高くする
享保 4年(1719) 藩の学校明倫館を堀内につくる
廷享 元年(1744) 藍場川出来る
天保 7年(1836) 城が出来て最大の洪水が起きる川内の3分の2が水没した(サル年の大水)
嘉永2年(1849) 明倫館を江向に移す
安政2年(1855) 姥倉運河開通
明治7年(1874) 萩城解体される


支藩及び宰判別地図


毛利氏略系(萩藩・山口藩)