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遺言

浄土真宗・永照寺・松岡 洋之


 どうしてお寺にお参りするようになったんですか?

 そう聞くとおじいちゃんやおばあちゃん、お父さんお母さんといった今は亡くなってしまった身近な家族を思いだした時、お仏壇に手を合わせていた後姿、お寺に通う姿が思い出されて、自分もお参りするようになったんだよという話を聞かせていただくことがあります。

 そんな時、先立たれた方の導きによって、残された方がそのみ跡を慕い、み教えが脈々と受け継がれていっている。

 そんな現場に出くわした様で心が震えることがあります。

 お浄土へと先立たれ、仏さまとなられた方々のはたらきは、私たちを知らず知らずのうちにお仏壇の前や本堂で手を合わせる身に育て上げてくださいます。

 身近な方々との別れはつらく悲しいものです。

 できるだけ目を向けたくない。

 耳を傾けたくない私たちではありますが、それでも別れていかなければなりません。

 そんな辛い別れを経験しなければならない人生で私たちは一体、何をたよりに生きていけばよいのでしょうか?

 お釈迦さまは法を、み教えをたよりにするんだよと遺言されました。

 お寺やお仏壇に参ろうが参るまいが、み教えを聞こうが聞くまいが、この世に生を恵まれたなら必ずいのちを終えていかなければなりません。

 別れていかなければなりません。

 それが、お寺に参らせていただき同じみ教えに出遇わせて頂けば、「先にお浄土に行って待っているよ。」「後から行かせて頂きます。」と同じいのちの行く先が開かれていることを聞かせていただけます。

 死は永遠の別れじゃなかった。

 お浄土で再び会える道だったと知らされる尊いご縁であったと聞かせていただきます。




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