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            やさしい顔・キツイ顔

                                           (浄土宗・長寿寺・古屋文康)


同窓会に出席して、坊さんが注目されるのは五十才を過ぎてから。ただし、少しでも長生きをしないと、注目される期間が少なくなるといわれたある御老憎がいました。

私も五十も半ばとなり、同級生より一目おかれるようになりました。

人生も半ばになり、若い二十や・三十才の時には、病も、死ぬことも何とも思っていませんでしたが、ぼつぼつ仲間が欠けたり、病気持ちである者が多くなりますと、生き方を考えるようになります。

酒も入って宴たけなわとなると仏教の知識を少し勉強して、論戦をいどむ者、又、自分流の教義を考えて、自信たっぷりに話しだす人。
「今の妨さんは何の役にも立ってない、もうすこし社会の役に立たなければいけない」などと、説教をする者など色々と現われます。

これらは私を僧侶として認め、又、宗教心に目ざめ、そして関心が起こつてきたことと思います。

これらの中に、「自分の葬式には、酒も飲まない、肉も食べない、結婚もしない妨さんに葬式をしてもらう」と希望をもった者がいました。

私はまったく条件を満たさないので言い返しました。『そんな人間離れした坊さんが、世の中にそんなに居るわけがない。それに菩薩様みたいな人に葬式をしてもらうような自分が、聖人君子の立派な人生を歩んできたのか』と「又、家族に葬式の方法を指示していると言うが、葬式は残った家族が出きる範囲と方法で営むもの。死んだ後になっても指示するな」と言うと、家族にも同じことを言われたと笑っていました。

このような考え方の人が最近は多くなっています。自己主張のみが前面に出て、多くの人々にささえられて生きている感謝と、反省の心がなかなか養えません。

生きて行くことの多くは、他人との競争ですので、真の生き方を考えることはなかなかむずかしいことと思います。しかし、感謝の心の養えていない人は、顔つき又は動作に品性がなくなります。他の人々に不愉快な気持ちを与えます。六十才〜八十才になっても、よく、キツイ顔つきの人を見かけます。

自分の都合の良いことはすぐに忘れて、不利益なことは永く覚えていて、不満をいい続けやすい私達!


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