このページは音声読み上げページです。下の[開始]ボタン(右矢印)を押すと、テキストの読み上げを開始します。([開始]ボタン(右矢印)が出ていない場合はここをクリックしてください。)
さびしいとき
(浄土真宗・長泉寺・木村智徳)
みなさんは仙崎の詩人、金子みすずさんをご存じでしょうか。有名な詩に『大漁』があります。詠んでみましょう。
『大漁』
朝焼け子焼けだ大漁だ 大羽鰯の大漁だ
浜は祭りのようだけど 海の中では何万の
鰯のとむらいするだろう。
仙崎は漁師町ですから、もちろん魚が大漁なら町はお祭り騒ぎになるわけです。その中でみすずさんは海の中では残された魚の親や兄弟がお葬式をしてるんだろうなと、魚にもある命の尊さや、大切さを詠んでいます。
この詩も良いんですが、今日紹介しますのは、『さびしいとき』という詩です。詠んでみましょう。
『さびしいとき』
私がさびしいときに、 よその人は知らないの
私がさびしいときに、 お友だちは笑うの
私がさびしいときに、 お母さんはやさしいの
私がさびしいときに、 仏さまはさびしいの
人は1人で生まれて、1人で死んでいくのだとよく言われます。ところがみすずさんは「私がさびしいときに 仏さまはさびしいの」と、1人じゃないんだよと詠んでいるのです。
阿弥陀様は私が死んだとき、この世の縁尽きたとき必ずお浄土より迎えに来て連れて行って下さると誓われております。
しかし阿弥陀様のおはたらきはそれだけではありません。阿弥陀様は今生きている私と一緒に喜んだり、悲しんだり、時には泣いたり、笑ったりして下さっているのです。
いつもわたしのそばには阿弥陀様がいて見守っていて下さる。こんな心強い事はありません。いつも阿弥陀様に見守られ生かされている私の人生です。今生かされている一瞬一瞬をこれからも精一杯生きてまいりましょう。
音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。