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 思い通り

浄土宗・常念寺・野花祥生


 私たちの人生では、自分の思い通りにならないことの方が多いものですが、何でも思い通りになると思い込み、また思い通りになることを期待して日々を過ごしているものです。

 お釈迦様が説かれた四苦とは、生老病死、生まれて老いて病気になって死ぬという私たちが生きている限り避けることが出来ない四つの苦しみで、これも私たちの思い通りにはならないものです。

 生まれてくるときからしても、私は自分の思い通りに生まれてきた、といえる人はいませんし、まして年老いたり病気になることを多少遅らせることは出来ても、それを止めることは誰にも出来ず、自分の思い通りにならないままやがて死を迎えることになります。

 また私たちは心を集中させようとしてもすぐに違うことを考えたり別のことに気がいったり、運動をするときなどに自分のイメージ通りに体を動かそうとしても、常に思った通りに体を動かせるものではありません。

 自分の心や体でさえ自分の思い通りには出来ないのだから、ましてや他人の気持ちや言動を自分の思い通りにすることなど不可能に近いといえます。
 
 そして自分のことを思い通りにしたいと強く思う人ほど、他人に対しても自分の思い通りになることを求めがちですが、どんなにいうことを聞く子どもでも親の思い通りに育つわけではありません。

 親はどうしても子どもに自分の思い通りになってほしいと期待するものですが、近年はその期待が過剰になり、親が子どもに多くを求め、子どもはその期待に押しつぶされそうになりながら窮屈な生き方を強いられる、そんな親子関係が増えているように感じられます。

 一時的には何もかもが自分の思い通りになるときがあったとしても、それがずっと続くということは決してなく、自分の思い通りにならないことがあると、その度に腹を立てたり悲しんだり恐れたりする。自分の思い通りに生きていけなかったり、他人の言うことや行動が自分の思い通りでないからという理由で、人を殺したり傷つけたり、ときには自分自身の命を絶つということが益々増えています。

 そんな風に思い通りにいくことは少なく、また何が起こるか分からず恐ろしいことや悲しいことの多い人生ですが、思い通りにいかないことについて悩んだり考えたり苦労するからこそ、思い通りになったときに大きな喜びを味わったり楽しんだり、その体験を通じて人は成長できるものです。

 また時には思ってもいなかったことで驚いたり喜んだり出来るのではないでしょうか。




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