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          大泥棒の耳四郎

浄土宗・俊光寺副・岩垣貴頌


 浄土宗の宗祖法然上人には様々な階層の人々との出会い、その逸話が残っていますが、その中でも私の好きな大泥棒の耳四郎のお話をこの度はご紹介させていただきます。

 法然上人がご在世であった当時、天野の四郎という大泥棒がおりました。

 歴史に残る大泥棒。

 当時は耳四郎と呼ばれ子供が泣いていても「耳四郎がきよった!」と言うとすぐ泣き止んだと言われる程に恐れられていました。

 この耳四郎がこともあろうに法然上人のご説法の座に来ておりました。

 上人はそんなこととはつゆと知らず「どんな悪い心のものでも、どんな悪いことをしたものでも必ず助かる。それが如来様のご本願、お慈悲、親心である。」というお話をされる。

 これを聞いた耳四郎はじっと黙っておることができず末座から「お上人、私は耳四郎という者だが…」一座のものはギョッとして振り向きます。

 「今お話を聞いておると、どんな者でも助かるということであるが、この俺でも助かるのか」とたずねた。

 法然上人は「必ず助かります」と、お答えになられた。

 しかし、そんな簡単な答えではさすがに得心できずに、重ねて「どうして俺のような悪いものでも助かるのか」と詰め寄った。

 法然上人は静かに耳四郎の方に向き直り「耳四郎殿、よくお聞きなされ、この法然が助かるのですよ。こんな私のようなものでも助かるのだから、そなたの助からぬはずがない。」

 これを聞いた耳四郎は驚きます。

 「少しは心を入れ替えよ」とでも言われるかと思いきや、当時生き仏と言われた法然上人からこのように言われたのです。

 法然上人のお言葉を聞いた耳四郎は、法然様の中に自分と同じものがある。

 自分の中にも法然様と同じものがある。と、感じ取られました。

 この件以降耳四郎は人様のものを盗んでカラカラと大笑いということができなくなってしまいました。

 「なんでか知らんが気持ち悪い。苦しゅうて苦しゅうて仕方がない。」

 ついに法然上人の庵を訪ね、頭を剃り名を教阿弥陀仏と頂いて念仏の行者となりました。

 このお話には多くの受け止め方がありますが、その中でも私の関心を引くのは泣く子も黙る極悪人の耳四郎が自分からお念仏を申したという点にあります。

 彼に世間の道徳を説いてもまぁ、鼻で笑っておしまいでしょう。

 良いことをした人は救われて、悪いことをした人は地獄に落ちますというような、そんな損得勘定、世間の道徳を教えるには都合が良いか知りませんが仏様はそんな風に私たちを導いてくださっているのではありません。

 どんなものでも救われると深く信じ仏様に向き合ったとき、世間様からはもう手のつけようがないとさじを投げられていた耳四郎が自然と手を合わせた。

 このお話が私は大好きです。




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