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          人間らしい人間

浄土宗・常念寺・古本光然


こちらは、萩心の電話です。今週は、浄土宗常念寺がお話いたします。

先日、あるお壇家の年忌法要の席で、ご親戚の方から質問を受けました。

ラジオ放送で、何処かの大学の先生らしい人が「人間である事と人間になる事は違います」と言われ、何だか難しい話をされ、よく解らなかったのですが、和尚さん、どういう意味なんでしょうか、という質問でした。

それは大変難しい質問ですね。私はその放送を聴いておりませんので、その先生の真意は解りませんが、おそらくこういう事じゃないでしょうか、と前置きして、次のようにお答えしました。

「人間である」ということは、普通、私達人類が、この世に生を受けると、サルやその他の生き物と違って「人間」と呼ばれるという意味だと思います。それに対して「人間になる」という事は、時代や国によっても様々でしょうが、人間のあるべき姿というものがあり、教育をうけたり、自ら学んだりして、それを実現して行く事を言うのだと思います。

人類は、サル同様の暮らしから、数百万年かけて、その暮らしを便利にする為に、科学技術を発達させ、それを味わい深くする為に、宗教や芸術その他諸々の文化を発展させ、「単なる動物」から「人間」になって来た訳です。

しかし、残念ながら、その人間は、サルやその他の生き物に劣る所が沢山あり、下手をすると、この地球を滅ぼすかもしれません。だからこそ、私達はもっともっと「人間らしい人間」になる為の努力が必要だという事じゃないでしょうか、とお答えしたのですが、やはり難しい話になってしまいました。もう少し解り易い答えはないものかと今考えているところです。

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