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          念仏とは

(浄土真宗・明光寺・榮 光


 ナンマンダブツとは、どういう意味かと申しますと、仏さまの助けるぞよとのお言葉です。

 そのお言葉に私たちは、どうすればよいかというと、素直な心でハイとうけ入れることが大切です。

 この素直な心で、うけ入れる心を信心といいます。

 ナンマンダブの名号は、いつでもどんな時でも私といっしょにいらっしゃいます。

 人間は、生まれてゆくのもひとり死んでゆくのもひとりです。

 そこについて来てくださるのが阿弥陀如来さまです。

 ナンマンダブ、ナンマイダブととなえる時にいつでもどこでもどんな時でもあらわれてくださいます。

 そして、阿弥陀如来と同じ悟りの世界、つまり、極楽浄土につれていってくださいます。

 所詮人間の自力の力では、到底たどりつかない世界に、仏さまの仏力、つまり他力の力でつれていってくださいます。

 この他力とは、何であるかと申しますと、本願力でございます。

 本願力とは、何かと申しますと、すべての人々を平等に救うと誓われた、阿弥陀如来さまの願いでございます。

 この願いに私たちは、どうこたえたらよいかと申しますと、ナンマイダブ、ナンマイダブと一心にお念仏をとなえてゆくことが阿弥陀如来さまの願いにかなうことです。

 うれしい時もかなしい時も、ナンマイダブ、ナンマイダブととなえて、強く明るく生きぬいてゆくのが浄土真宗の念仏者の生きざまです。

 私たちは、この本願力がつねにふりかかっていることに気づき、阿弥陀如来さまのおはたらきであるナンマイダブツの名号を大切にして、名号をとなえることが、一番の功徳であることに気づかせていただくことが大切です。

 そして、名号をとなえることが、阿弥陀如来さまに対して私たちができる仏徳讃嘆であることに気づき、つねにわが身をかえりみて感謝の気持ちをもって日々の生活をしてゆくことが大切であることに気づかされてゆくのが、真の念仏者ではなかろうかと思います。




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