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(曹洞宗・大覚寺・末益泰輝)
「木版(もっぱん)」と呼ばれる、木の板があります。
禅宗のお寺においては、坐禅や行事の時などに、合図を出す道具として用いられます。
行事の内容によって、鳴らす回数や鳴らし方は様々ですが、撞木で叩いた時の「パーン!」という、とても大きな響きが、単なる合図に留まらず、その行事自体に、特別な緊張感を与える気がいたします。
大覚寺の木版は、私の六代前のご住職が調えられた、明治初期のもので、相当叩いて、使い込まれてきたのか、叩く面の中心辺りの文字が消えかけていますが、墨書きで次の偈文が記されています。
生死事大(しょうじ じだい) 生死の事は大なり
無常迅速(むじょう じんそく) 無常迅速なり
各宜醒覚(かくぎ せいがく) 各々 宜しく醒覚して
慎勿放逸(しんもつ ほういつ) 慎んで放逸なること勿れ 」
生と死は、仏の一大事である。
時間は、無常にして迅速に過ぎ去っていく。
各々は、このことに目覚めて、
努め励み、決して無為に過ごしてはならない。
この偈文は、他のお寺さまの物も含め、多くの木版に記されているようで、仏さまに仕え、励む者は、木版の響きを聴いて、この教えを重々に肝に銘じなければならない、という意味が込められているようです。
「人の命というものは人生設計や予想図どおりにいくものではない、また永遠に保証されるものでもない。
そして、今、過ごしているこの時間は、二度とやって来ない。
判り切っていることだろうが、往々にして平穏無事、順風満帆、調子の良い時には、抜け落ちてしまうものだ。
良いか、しっかり心得ておくのだ!」
字のかすんだ木版を叩いて鳴らす度に、六代前のご住職が語りかけてくるようでもあります。
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