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          ものを見る目と見え方
黄真言宗・弘法寺・小野普英


私たちは日々、様々なものを目にして暮らしていますが、そのことを当然のこととして特に深く考えたりしません。

しかしながらお経の中でも特に広く知られております「般若心経」には興味深い内容が説かれています。

ある方はその著書の中で「空不異色」の文言に触れて次のように分かりやすく説明しておられます。

まず、アンデルセンの童話「裸の王様」を引用されます。詐欺師が王様のために礼服をつくりますが、その服は善人には見えるが悪人には見えないという糸で織られた布が使われています。

「如何でしょう」と尋ねられれば王様も「みごとじゃ」と答えるしかありません。その服を着てパレードとなった時、大人達が王様の服が見えているように振る舞う中、子供が「王様は裸だ」と叫びます。すると、その言葉に全員が正気に戻りパレードは中止となりました。

著者はこの物語を次のように解釈しておられます。多少長くなりますが引用いたしますと。

「この話は,『般若心経』が教える『空』の解説にぴったりの物語です。とりわけ『空不異色』の意味をうまく説明してくれます。

しかし『般若心経』とアンデルセンでは考え方にだいぶ違いがあります。アンデルセンは『本当は誰にもその服は見えていなかった』と考えていますが、仏教の考え方では、皆にその服がありありと見えていたのです。

その服を『空」と名付けておきます。アンデルセンは『空」は見えるはずがないと考えていますが、実際は見えるのではないでしょうか。

『空』なるものを人はいろいろに見ているのです」。これが著者の説明です。つまり、見えるという前提に立って物事を見ていくとその心の働きでとらえられるものがあり、『空』もまたそのように見えてくる、そういったことでしょうか。

来週月曜日より曹洞宗  亨徳寺 荒木玄修様のお話にかわります。

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