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    水は是れ身命なり

曹洞宗・大覚寺・末益泰輝


 曹洞宗のご本山では、洗面器1杯分の水で歯を磨き、顔と頭を洗います。

 必要な分だけ水を頂戴するのです。

 長年守り続けられている作法に則って今も行われていますが、そこからは「水」は大切に扱わなければならない、という教えを伺うことが出来ます。

 道元禅師はとりわけ水を大切になさったといわれ、「典座(てんぞ)」と呼ばれる、食事を司る役職の僧侶の心得を記した『典座教訓(てんぞ きょうくん)』という著書においては、先達の言葉を引用して「飯を蒸すに、鍋頭をもて自頭と為し、米を淘るに、水は是れ身命なりと知る」とお示しになりました。

 「ご飯を炊く時は鍋を自分の頭と思い、お米をとぐ時には水を命と思いなさい」と、大切な命を扱うのであるから細心の注意を払って、鍋やお米、水を取り扱うことを説かれたのです。

 その他にも「水は身命(いのち)である」とのお示しは、数々の著書において再三出て参ります。

 そしてこれらのお言葉の指し示すところは、あくまでもただ「水」のみに限ったものではないということに気付かなければなりません。

 私たちは、様々なことにおいて、足りている時にはあまり思いを致さず、足りなくなった時に初めてその大切さを思い知らされ、改めて感謝の念を持つ、ということが少なくありません。

 また全てのものに「いのち」があることを頭の中では分かってはいても、ついつい忘れてしまい、粗雑に接することが多いものです。

 「いのち」あるものの恩恵を頂きながら私たちの今があることを、そして全てのものには限りがある、ということを忘れてはなりません。

 「必要なものを必要な分だけ頂戴する」という心掛けを、私たちは今一度学ぶべきでありましょう。




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