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未来へ

浄土真宗・永照寺・松岡 洋之


 大阪北部地震に続き、西日本豪雨災害に連日の猛暑や台風と激甚な自然災害が続いています。

 また被害があまりにも大きく、被災された方々、ご関係する方々のご心労はいかばかりかとお察ししますとともに、謹んでお見舞い申し上げます。


 今年の8月15日で終戦73年を迎えようとしています。

 73年前の8月、広島と長崎の街は一瞬にして破壊され、多くのかけがえのないいのちが失われました。

 そして、今もまだ多くの方々を苦しめ続けています。

 しかし、戦争を経験された方々が少なくなってゆく中、戦争の記憶は遠いものとなりつつあります。

 言うまでもなく、戦争がもたらした痛みや悲しみを風化させることなく、平和を願い行動し語り継がなければなりません。

 そして、もう一歩。

 過去を学び、よりよい未来へと繋ぐために仏のみ教えを聞きひらき、どうして人は争うのかという問題に目を向けさせていただきます。

 争いの始まりには、自分が正しく、相手が間違えているとする自らを正当化した人間の自己中心的な心の在り様があります。

 互いに正義を振りかざし、どちらか一方が相手をいかなる力かでねじ伏せ、上辺ばかりの平和を取り繕っても、争いにおいて流される悲しみの涙や痛みが、そこには伴っています。

 お釈迦さまは『法句経(ダンマパダ)』の中で「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」と説かれます。

 争いによっていのちを脅かされる側に自分の身を置いたならば、自分自身の恐怖や苦しみとして感じ受けとめたならば、争おうという気持ちは起こりえません。

 「苦しみ痛み悲しむ側に自分の身を置いて考え、行動しなければなりませんよ」というお釈迦さまの言葉から私たちが、人間の愚かさ、戦争の悲惨さ、平和への願いと学びを深めていくことが大切なのではないでしょうか。

 相手の身になり、異なる価値観を認めあい、傷つけあうことなく、互いが互いを大切にし、敬いあえる社会を未来へと築いていきたいものです。