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    見えないお慈悲

浄土真宗・蓮正寺・河名哲雄


 科学の急速な進歩とともに、世の中は大変便利な時代となりました。

 今や自宅のパソコンの前に座ったままで、車から、生活雑貨、野菜一つまで購入できるようになりました。

 パソコンのマウスを数回クリックするだけで、何でも買える時代です。

 早ければ翌日には商品が自分の手元に届くという時代です。

 こうした最近の世の流れをみてみますと、現代人の多くは自分の経験値による実証主義こそが全てであるかのような、風潮があるかと思います。

 自分の目で耳で、見たり聞いたりしたものしか信じないと言われます。

 また、神仏を信じないと言われ、無宗教を謳う方々が多くなりました。

 はたしてそうなのでしょうか。

 私たちの目に映るものだけが全てなのでしょうか。

 金子みすゞさんの詩に『星とタンポポ』という詩があります。

 

   青いお空の底ふかく、
  
   海の小石のそのやうに、
 
   夜がくるまで沈んでる、
  
   昼のお星は眼にみえぬ。
 
   見えぬけれどもあるんだよ、
  
   見えぬものでもあるんだよ。



   散つてすがれたたんぽぽの、
 
   瓦のすきに、だァまって、
 
   春がくるまでかくれてる、
 
   つよいその根は眼にみえぬ。
 
   見えぬけれどもあるんだよ、
  
   見えぬものでもあるんだよ。



 昼間は、太陽が燦々と輝いていることで空にある星はみえません。

 星はあるのに、太陽の光が強すぎるので、目には見えません。

 太陽の光が届かなくなる夜には邪魔をするものが無くなって星は私たちの目にみえてきます。

 決して目に映るものだけが全てではないのです。

 目には見えないけれども働き続けてくださる仏様は必ずおられるのです。

 私たちは、煩悩というものがあるがために、真如、真実なる仏様のお姿は目で見ることができないだけなのです。

 目には見えないけれども私を見守り続けてくださる仏様は必ずおられます。




音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。