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          迷っているのはこの私

                                      (浄土真宗・西生寺・三上淳久)


こちらは萩心の電話です。今週は、浄土真宗西生寺がお話致します

物事が調子よく進んでいる時に、私達はそれを「自分の手柄」と考え有頂天になってしまいます。逆に、思うように物事が進まなくなると「誰かが悪い・邪魔をしている」と、自分以外の誰かの”せい”にしてしまうことがよくあります。

思うように物事が進まないことが何度も続いてしまいますと、思い悩み「何かが祟っている・何かにとりつかれている」と考えてしまいます。

その「何か」というのを、先祖であったり身近で亡くなられた方の”霊”と考えるようになってしまうのです。そして最後には、先祖或いは身近で亡くなられた方が『迷っている』と決めつけてしまうのであります。

私から何代目か後の世代になっときに、子孫が、この私のことを『迷っている』という扱いをしている場面を想像してください。なんと悲しいことでありましょう。なんと寂しいことでありましょうか。

阿弥陀如来様は、私が欲深く自分に都合がよいことしか考えないものであることを見抜かれた上で、何とかその愚かな姿に気づかせ、迷いの世界でウロウロしているこの私を救いたいと願われ、み教えをお示しくださいました。

そのみ教えとは、救いようのないこの私を阿弥陀如来様の国であるお浄土に救い、欲も迷いもない阿弥陀如来様のお悟りと等しい悟りを得て仏となり、残されたものにみ教えを伝えていく身とならさせていただくことであります。

よくよく考えてみますと、『迷っていた』のはこの私でありました。阿弥陀如来様のみ教えにであうことができた今、順境にあろうとも逆境にあろうとも、しっかりと自分自身を見つめ、阿弥陀如来様のみ教えをお聞かせいただかなければならないと思うことであります。

来週月曜日より 浄土宗・光福寺様のお話に変わります
 

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