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      草は棄嫌におふるのみ

曹洞宗・海潮寺副・木村延崇


 当寺には、幕末に吉田松陰と米国密航を企てた罪により、投獄され死去した金子重輔の墓があります。

 松陰は盟友の死に弔慰を表し、墓前の花筒に「寄附吉田氏」と刻銘されています。

 また、墓石には金子家の家紋「丸剣片喰(まるにけんかたばみ)」が銘されています。

 クローバーに似たカタバミは、小さな黄色い花を咲かせ、ハート型の葉はとても均整が取れています。

 しかし可憐な見た目と違って非常に繁殖力の強い植物で、ひとたび芝生などにはびこると駆除が絶望的な雑草で知られています。

 カタバミは小さな球根を核として根が縦横に広がり、完全に抜き取らないと、地中にちぎれて残った僅かな根から再び息を吹き返します。

 また花が散ってできる実に手を触れると、パチパチと弾けるように内包した種子をまき散らします。

 驚異的な繁殖力のため、庭造りをする人びとからは忌み嫌われますが、一方で古来戦国武将らによって、子孫繁栄を期して家紋として好んで用いられるほど、由緒ある植物なのです。

 私などはそういった風流など差し置いて、緑青々とした芝生を維持するために、カタバミを雑草とみなして、目の敵にしながら何とか摘み取ってしまおうと励んでいます。

 この格闘は毎年のように繰り返されますが、カタバミ自身は邪念に駆られる私をあざ笑うかのように、しぶとくたくましい生命力を見せつけます。

 「仏道もとより豊倹(ほうけん)より跳出(ちょうしゅつ)せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜(あいじゃく)にちり、草は棄嫌(きけん)におふるのみなり。(仏道はもとより世間の常軌をはるかに超越したものであるから、生と滅、迷いと悟り、衆生と仏がありつつも、なおもまた花は惜しまれても散り、草は嫌でも繁りはびこるものなのである)」『正法眼蔵・現成公案』

 私はあれこれ思いを馳せながらまだ冬枯れの芝生を見つめふと、今まさに仏道の真っ只中に放り込まれているのだと、深く思いを致した次第です。