トップ > ネット法話

このページは音声読み上げページです。下の[開始]ボタン(右矢印)を押すと、テキストの読み上げを開始します。[開始]ボタン(右矢印)が出ていない場合はここをクリックしてください。

          倶会一処

浄土宗・俊光寺・岩垣法順


 あの暑い猛暑が嘘のような肌寒さを感じる秋風がふいています。これから寒さに向かいますが、変わらない季節の移り変わり、また秋が巡って来たと言う思いで、何故かほっとしています。
 
 今年は母を亡くして初めての秋。

 秋の寂しさを肌身で感じていますが、何か心豊かな実りの秋をも感じています。

 この感じはどこからくるのでしょうか?
 
 阿弥陀経と言うお経の中に「倶会一処(くえいっしょ)」と言う教えがあります。

 倶会一処とは、「(とも)一処(ひとところ)に会う」「ともに同じ場所で会える」と言う意味です。

  「会者定離(えしゃじょうり)は世の習い」とは、誰もがよく知っていて、しかも、誰も避けることが出来ない、超えなければならない悲しい現実です。

 愛しい人との別れ、愛別離苦(あいべつりく)は嘆きの中の極みでしょう。

 その別れた人との再会の場、阿弥陀様のお浄土があると言うのが、私達が西方極楽浄土に生まれることを願う背景の一つです。

 法然上人は 「そんなに深く嘆くことはありません。浄土で再び会えるのはすぐのことです。今の別れはしばらくの悲しみ、春の夜の夢のようなものです」とお示しになっています。

 それでも、しばらくの別れが辛く耐えられないと言うのが私達の、深い悲しみでしょう。

 だから、悲しみの中に立ち止まることなく、お念仏を声に出して唱えなさいと優しく導いておられます。

 お浄土へと旅立たれた方が、阿弥陀様のお慈悲の中で生かされているということを、この身に分からせて頂けるのが南無阿弥陀仏の一声です。

 「仏となる誕生の一声。往生の一声です。」

 我が耳に聞こえる程の声、心の耳に届く声を聞くことで、その尊い御仏の声を聞くことが出来ます。

 お念仏を申すことで、亡くなった愛しい人の思いを受取り、私達をお浄土につなぎ、お浄土へとつながる大いなる命へと誘います。

 それはお浄土での再会を確信できる喜びのお念仏でもあります。

 今、この場所で(とも)にお念仏しているという、倶会一処(くえいっしょ)の喜びの出会いを感じ、倶にお念仏する事で、今ある尊い命を大切に生き、より豊に生きてゆかねばならぬと自覚することが出来るのです。

 それこそが浄土の大事な教えであると感じています。




音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。