トップ > ネット法話

このページは音声読み上げページです。下の[開始]ボタン(右矢印)を押すと、テキストの読み上げを開始します。[開始]ボタン(右矢印)が出ていない場合はここをクリックしてください。

      神と仏と四月八日

曹洞宗・海潮寺副・木村延崇


 穏やかな春の陽気に、満開だった桜も散り始めています。

 花まつりとしてすっかりおなじみになった4月8日はお釈迦様の誕生日。

 この日、全国の寺院では灌仏会がおこなわれます。

 日本最初の灌仏会は飛鳥時代初期、1400年前におこなわれたと『日本書紀』に記されています。

 その後平安初期になると、天皇家の清涼殿でもおこなわれるようになり、宮廷の恒例行事になりました。

 また、平安期にまとめられた、宮司が執り行う儀式の集大成『延喜式』にも規定があり、宮中だけではなく貴族の邸宅でもおこなわれ、その後神社でもおこなわれるようになりました。

 今では花まつりといえば仏教寺院に限られた行事になっていますが、明治初年の神仏分離以前までは、千年以上の永きにわたり、神仏混然となって広く民間でおこなわれていたのです。

 一方、花まつりとはいいながらも、いろいろな花が咲きほこるような時期にはまだ早すぎます。

 旧暦4月8日は、現在では約一ヶ月後の五月初旬に相当しますので、その頃になれば自然界にはいよいよ花が満ちあふれるのです。

 実際に今でも5月8日に灌仏会をおこなう地域が多くあり、山に出かけてツツジ・シャクナゲ・ウヅキなどを採ってきてお供えすることもあります。

 神々が宿ると信じられている立山や鳥海山などの霊山では、この日を山開きと定め、修験道の峰入りもこの日を目安にしています。

 また4月8日を「卯月八日(うづきようか)」と言い習わして、山遊び・死者供養・田の神迎えなどもおこなわれてきました。

 ですからこの日は灌仏会とあわせて、いろいろな習俗が重層的に入り乱れた、大変豊かな日であったことが窺われます。

 明治維新151年目を迎えるにあたり、日本人の精神的で文化的な側面が忘れられつつあることにも、今一度目を向けるべきだと思っております。