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人生の大事
(浄土真宗・永照寺・松岡 洋之)
世間では「死んだらおしまい、生きているうちが華」等と申します。
先がないということを理解しているにも拘らず、先がないからこそ、今のうちに遊ばなきゃあ損だと、日々の遊びを優先している私たちの姿を表しているような言葉です。
私たちは財産や健康といったものを人生の大事として、幸せの条件として生活をしています。
しかしながら、幸せの条件というのは、いつまでも続かないものばかりです。
いつまでも続かないものを人生のよりどころにしてしまうと、それらを失った途端に、その人の人生は丸ごと否定されてしまいます。
大事にしていた財産を失ったとき、どうするのか?
病気や怪我になった時、どうするのか?
いつの日かは、アッという間にひっくり返ってしまう時がやってきます。
こんなはずじゃなかった、私の人生は間違いだったと、逆に不幸の人生になってしまいます。
幸せを求めていながら、不確かなものをよりどころとして、人よりも良く思われたい、羨ましがられたいという人生を送っていることに気付かされます。
しかも、現状に満足することなく、自分は不幸の中にあるといっては愚痴をこぼし、腹を立て、他人をうらやみ、ねたんでばかりいるのです。
お釈迦様は「欲望にまかせた生活も、またどのような栄華も、いつまでも続くものではなく、すべて失われてしまう。本当に楽しむべきものは何一つない。」 『仏説無量寿経』と説かれました。
先がないということが分かっているならば、尚更、私たちは常日頃から、私たち一人ひとりのいのちの行方というものを聞かせていただかなければなりません。
本当に価値のあるみ教えに気付かされた時、私は本当の財産を手に入れることができるのです。
病気のときも怪我の時も、常に私を否定せず、支えてくださるみ教えに早く出遇わせて頂くことが人生の大事ではないでしょうか?
音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。