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一生の計

浄土真宗・永照寺若院・松岡 洋之


 「一年の計は元旦にあり」と言われるからでしょうか?

 正月にテレビを観ておりますと、毎年のことながら新年には有名な神社仏閣に初詣をする人が多く、一年中で最も宗教色の強い行為なのかもしれないと思った年明けでした。

 しかし、「日本人の宗教は?」と聞かれると、個人により様々だと答えるしか仕様がありません。

 実際のところ、外国などと比べても日本では、宗教と関係のある国民の祝日を探すのは難しく、外国人にとって日本人の宗教観ほど難しいものはないようです。

 よく言われる通り「日本人は生まれた時は神社、結婚式は教会、亡くなった時はお寺」と言ったところでしょうか?

 それは私たちのいつでも、いつまでも幸せでありたいという気持ちがさせている事であり、否定することはできません。

 しかし、あっちに行ったり、こっちに行ったりする様子は、どこか滑稽で、行き先を迷っている姿そのものです。

 そして、確かな行き先や道が分からずに、人生を送ることほど不安なことはありません。

 今、自分が一体どこへ向かおうとしているのか?

 それが決まった時、それが分かった時に私たちの人生は安心に満ちたものに変わっていきます。

 自分の宗教を持つということは自分の生きていく確かな道や行き先を見定める事であり、自分の生きる方向を指し示す人生のコンパスを持つということに他なりません。

 一年の計は元旦にあるのではなく、一生の計を今、問われているのです。

 自分の方向性が明らかになった時、自分がどこに立っているのかが分かり、私には安心した居場所が与えられていたのだと気づかせて頂けるのです。

 その状況に出遇わせていただいたと歓ぶ人生をともに歩ませていただきたいものです。




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