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一つの雨
(浄土真宗・蓮正寺・河名哲雄)
先日雨が降りました。久しぶりにまとまった雨が降り、これからお米を育てられる農家の方々にとっては非常によい雨となったことでしょう。
しかし、私にとってはその日だけは降ってほしくない雨でした。
雨の降った午前中、私は休日の半日を費やして車を洗車し、見事光り輝く車となったばかりでした。
お昼が過ぎ、刻々と空模様は変化し、ついに雨がぽつりぽつり・・・
その日降った雨は、雨が降るという一つの自然現象に過ぎません。
光り輝く車が雨により、濡れて汚れるのが嫌な私にとっては都合の悪い雨となりました。
しかしながら、多くの水を必要とする農作物を育てておられる農家の方々にとっては、都合のよい雨となります。
降る雨は何一つ変わっていないのに、それを感受する人間によって好都合にも不都合にもなる。
私たちは、自分にとって都合がよいか悪いかで善悪を判断しているのです。
私の善悪の判断基準というのは、非常に自己中心的な考えの上に成り立っているのです。
雨の降る中、自分の中にある我が儘な心と向き合うひとときを過ごし、自分の危うさを味あわせていただきました。
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