トップ > ネット法話

    彼岸花と赤とんぼに思う

曹洞宗・大覚寺・末益泰輝


 今夏、あれだけ日照りや酷暑が続いたり、猛烈な雨が降ったにも関わらず、今年もお彼岸の時期に入るのに合わせて、彼岸花が真っ赤な花を咲かせていることに、驚いています。

 また、境内でお檀家さんと「もう、最近はとんでもない量の大雨が一気に降って恐ろしい。かと思えば、今度はずーっと日照りが続いて雨も降らないし。天候が本当に不順ですけど、今年もピッタリお彼岸に合わせて、彼岸花が咲きましたねぇ。」と話をしている間の前を、真っ赤に体を染めた、何匹かの赤とんぼが、秋の朝の爽やかな空気を楽しむかのように飛んで行きます。

 全くもって、私たちの目には見えない自然の摂理というか道理のようなものを、周りの生き物や植物は、残すところなく余すところなく頂いているんだなぁ、と感じさせられました。

 曹洞宗の開祖、道元禅師様が詠まれたお歌を思い出します。

 「峰の色 渓(たに)の響きも みなながら  わが釈迦牟尼の声と姿と」

 大意は、「山々の色合いも、谷川の響きも、みなすべてお釈迦さまの説法の声であり、お姿なのですよ」というおさとしです。

 このお歌は、「法華経を詠ず(詠む)」と詞書(ことばがき)されています。

 そして、「法華経を詠む」というテーマの核心は「諸法実相(しょほう じっそう)」であると示されます。

 易しく言えば、「すべてのものが、真実のすがたをそのまま現しているのですよ。」ということなろうかと思います。

 さて、私たちは、日常の生活の中で「名利みょうり)」、すなわち、名誉や利益、または自分に合うか合わないか、などといった、自分の計らいや物差しで、ものごとを見たり考えたりしていないでしょうか。

 すべてのものの真実のすがたは、私たちの眼に、耳に、鼻に、口に、意識へと、そのまま届けられています。

 それを、何の計らいも添えず、真っすぐ受け取れるかどうかは、私たち自身の心がけ次第によるのです。

 自分自身もそうなれるよう、励んでいかなければならない。そのように改めて教えてくれた彼岸花と赤とんぼでした。