こちらは萩心の電話です 今週は浄土宗常念寺がお話し致します。
私の知り合いに、大変仲の良いご夫婦がおられます。数年前に、あなた方は,オシドリ夫婦と言われているが、何か秘訣があるのかと、ご主人に尋ねたところ「実は、内は嬶天下でね、大抵のことは、僕が辛抱しているから、波風が立たんのです」とおっしゃった。
そうかと納得し、ずっとそう思ってました。先日、その奥様とお話しする機会があり、ご主人の言われた事は内緒にして、同じ質問をしたところ「実は、主人は、あれでなかなかの亭主関白でね、ほとんど私が堪えて居るから、うまく収まっているんです」と答えられました。
どこまでがホンネか分かりませんが、いずれにせよ、二人とも、自分の法が余計に辛抱していると思っておれれるようです。
そこで、そうだ、私の内でも、私は私なりに、相当辛抱しているつもりですが、家内は家内で、自分の方が余計に辛抱していると思っているに違いなし、事実そうなのかもしれないと気付いたのです。
家庭内だけでなく、まわりの友人や知人も、私がしている以上に、私の事を辛抱しておいでだなと思うようにもなりました。
もっとこの考えを巡らすと、人間同士なら、お互い様と言うことが出来るのですが、仏様は、一方的に、私の事を、辛抱しておられるにちがいない、いやいや、辛抱ではなく、心を痛め、その上、暖かく見守っておられるのに違いない、だからこそ、こうして、毎日、のうのうと暮らしておれれるのだと思えてならないのです。
そう思うと、何だか恥ずかしいやら、ありがたいやら、そんな気持ちで一杯になっています。