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      蛇縄麻(だじょうま)の譬え

曹洞宗・海潮寺副・木村延崇


 先日、就寝中に突然屋根の上で「バタ、バタ」という音がして目が覚めました。

 時計を見ますと真夜中です。

 野良猫でも走り回っているのかなと、布団に入ったまま様子を伺ってみました。

 暫く何事もありませんので、知らず知らずのうちにまた眠りにつきましたが、今度は庭の方から結構大きな音で「バタッ、バタッ」と、まるで人が歩いているような音がします。

 不審者だろうか、と慌てて飛び起きて庭をのぞいて見ますが、誰もいません。

 最近は物騒な事件を見聞きしていますので、急に不安になり、すっかり目がさえてしまいました。

 ところが翌朝、明るくなった庭を見て、「ああ、何という大した勘違だったのだろう」と苦笑いしてしまいました。

 というのも、今年の秋は柿の大豊作。

 庭に植えられた柿の巨木から、熟れた柿の実がボトボト屋根やら庭に落ちた音に敏感に反応して、あらぬ心配をしたのでした。

 本当にとんでもない勘違いです。

 『法相二巻鈔』(鎌倉期の良遍著述)という唯識教学の書物の中に蛇縄麻の譬えが出てまいります。

 ある人が闇夜を歩いているとふと蛇に遭遇し、慌てて家に逃げ帰ります。

 ところがもしもあの蛇が家の中に入ってきたらどうしよう、と不安でとても眠れません。

 翌朝、もう一度蛇を確かめに行くと、実はただの一本の縄が転がっていたのでした。

 やれやれ一安心、という何でもないような笑い話と思われるかも知れません。

 蛇が怖くて眠れない、というのは、私たち日本人にはピンと来ないかも知れませんが、インドにおける蛇を想定しているでしょうから、コブラのように咬まれたら即死するような末恐ろしい猛毒の蛇だと考えていいでしょう。

 ともかく、この譬え話は縄を蛇のように見間違える、これは幻覚といってもいいと思いますが、その時は縄を全く蛇そのものと信じ込んでいるわけです。

 更に、縄だと思っているものも、本質は藁からできているに過ぎません。

 本来は単なる藁であり、蛇の要素など何一つないのに、飛躍して勝手に蛇だと頭の中で作り上げておきながら、その思いに強くとらわれて動揺し恐れてしまいます。

 妄想のように頭の中で作り上げられる思いは、これまでの経験により出来上がった、ものを見る基準・モノサシを持ち出して、ああ、この色・長さ・太さのものはきっと蛇に違いない、と絶対的に確信してしまう心のはたらきです。

 このような自分勝手な心のはたらきへの執着に終始するのは、実のところ誰もが無自覚におこなっているんですよ、よくよく反省しなさいとこの譬えは教えているのです。

 柿が落ちる音を、不審者の忍び足と思い込んで心配で夜も眠れない。

 これもまた滑稽なお話ですが、ほかならぬ私自身、普段からいかに物事をありのままに見ることができていないか、全くもって深く反省した次第です。