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          無蓋の大悲

                                      (浄土真宗・専正寺・安間秀常)


「無蓋」とは蓋が無いと書きます。蓋が無いとは常に開いているということです。

私達は仲の良い友達以外は駄目、愛する人以外は駄目、家族以外は駄目と常に仕切を付け蓋を閉めています。ところが仏様の大慈悲は蓋を持って閉じることが無いと言うことです。常に開いていると言うことです。

言葉を換えて言えば、阿弥陀様のお慈悲は、私達に絶えることなくはたらいていると言うことであります。生きとし生ける者に常にはたらいて下さると言うことです。人間だけではありません。動物や魚、人間が嫌うような蛆虫や体をクネクネとうごめかしていくものへも仏様の大悲はかかっていると言うことです。

野村康次郎と言う方が書かれた「雨」という詩にこんな詩があります。

   「雨はウンコのうえにも落ちなければなりません 嫌だと言っても駄目なのです 誰もかわってくれないのです」。

ウンコ は汚くて誰も嫌がります。しかし、雨は汚いからと言って、そこを避けて降る訳ではありません。ウンコのうえにもみんなと平等に雨は降り落ちるのです。この詩は、問題を抱えたN君と言う子供を生まれ変えさせたと言います。

「ウンコは今まで自分が出会って来た嫌なことではないか。すると雨は自分と言うことになる。雨はウンコの上にでも真っすぐに落ちている。それだのに自分は、次々にやってくる嫌なことを憎み、やけを起こしている。そうだ、これからは逃げだそうとせず、嫌なこと一杯やってこいとこちらからぶつかって行ってやろう」と考えるようになったそうです。

受け止め方によっては、嫌なことまで、光った存在に変わってくれるのです。一番大事なことは、何時でも何処でも、どういう状況の中にいるときも貴方も私も、大慈悲を持たれた阿弥陀様に願われ、念じられ、赦されていたと言うことです。

合掌

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