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          智慧

                                      (臨済宗・善福寺・難波 徳行)


智慧とは、仏様と同じ心の輝きのことです。私たちは、生まれながらにして、この輝く心をさずかっているのです。この智慧を自覚し、日々の生活に見い出して正しい生活を送る事が、仏教の教えです。

一般に子供に智慧がついたというのは、仏教で言う智慧とは違います。学校で勉強したり、本を読んだりして積み重ねられていくのは、知識です。これに対して、智慧は、生まれながらにして本来備わっているものです。一般にこの二つは、混同されているようです。

赤ちゃんは、はいはいをしたり、立ち歩きをしたりする時、転んだり、頭をぶつけたりして自分で覚えていきます。、繰り返し失敗しても、決して諦めません。

子供は、叱られても、叩かれても、恨みに思うことはありません。泣いてもすぐに忘れてしまいます。大人であれば、こう簡単には行きません。何時までも遺恨を引きずり、ぐずぐずいいます。腹が立つと夜も寝られません。体の具合まで悪くなります。子供のほうが賢いのです。

私たちは、いかりにとらわれて、自分自身で自分を不自由にしています。子供たちに学ばなくてはなりません。子供たちの純真な心は、生まれながらに備わっている智慧なのです。

では、私たちは、どのようにして、智慧を見つけたら良いのでしょう。 お釈迦さまは、本来の心の姿である智慧を見出すには、正しい生活を送ることだと説かれました。これが八正道のいわれです。体を痛めつづける苦行でもなく、快楽にふけるのでもなく、現実の生活の中に求めていく中道の生き方です。


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