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          平常心是道

曹洞宗・大覚寺・末益泰輝


  10月も終わりとなりましたが、まだまだ日中は汗ばむこの頃。皆さまは如何お過ごしでしょうか?

 さて、11月21日は太祖常済大師瑩山禅師がお生まれになった日です。
 瑩山禅師は、「永平寺」と並ぶ大本山「総持寺」をお開きになったお方で、永平寺を開かれた道元禅師から数えて4代目に当たり、曹洞宗では道元禅師と瑩山禅師を「両祖」として仰ぎます。
 
 その瑩山禅師は22歳の時に、永平寺から本師の義介禅師が開かれた石川県の大乗寺へ移られ、坐禅修行に勤められました。そして27歳の時に義介禅師より「平常心是道」という禅の公案を学ばれている時に、機縁熟してついにお悟りを開かれたと伝えられています。

 「平常心是道」の公案とは、中国の唐代の禅僧・南泉(なんせん)禅師と、そのお弟子である趙州(じょうしゅう)禅師との問答の内容を指し、南泉禅師の「仏の道の真髄は何であるか?」との問いに対して、趙州禅師が「平常心是道」とお答えになったというものです。

 この「平常心是道」について、義介禅師より、その心境について更に問われましたところ、瑩山禅師は「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」とお答えになり、正しく義介禅師より認められたと言われています。

 この教えの示すところは、言うまでも無く私たちの日常、一挙手一投足、生活の1コマ1コマがすべて道場であり、真実の仏法の姿であるということでしょう。
 このお言葉に限らず、禅の教えは決して私たち僧侶だけのものではなく、全ての人々の生活に当てはめることが出来るものであると、最近つくづく思います。 

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