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          頭に詰まった石ころが・・・

(臨済宗・徳隣寺・阿部浩岳


 今回は10月18日、日曜日の朝7時30分にNHKのラジオで耳にしました、落合恵子さんの「絵本の時間」についてのご紹介から始めさせていただきます。

 お聴きになられた方には恐縮ですが、聞き流すには何だか勿体ないような内容に思えましたので、記憶の範囲でおさらいしてみましょう。

 『あたまにつまった石ころが』というちょっと風変わりな題名の絵本で、原作者はキャロル・オーティスハーストという方です。

 本当にあったお話だそうで、アメリカが1929年に大恐慌に見舞われる以前、石が大好きな主人公が父親とガソリンスタンド経営を始め、事務所の棚に拾ってきた石を並べて眺めながら、忙しく一生懸命働いておりました。

 しかし、大恐慌でガソリンスタンドは閉店の憂き目にあい、2〜3日の仕事を得てはやっと食いつないでいた折り、雨の日に博物館に通って石を見ておりました。

 すると博物館長から「あなたはどこの大学を出られたのですか」と尋ねられ、「自分はそんな高等教育は受けていません」と答えて身の上話をしたのでしょう。

 博物館長が夜警の仕事を作ってくれ、その後学芸員に採用され、やがて鉱物部門の部長となり、ついには専門の博物館の館長にまでなられたというお話でした。

 落合恵子さんはこの絵本の紹介に先立って、「数年前、勝ち組・負け組という言葉が頻繁に使われたけれども、ザラザラした感触が馴染まなかった」と前置きし、主人公の娘さんが「父ほど幸せな人生を送った人を私は知らない」と述べたことを結びの言葉とされました。

 今から80年くらい前にあったお話ですが、自分の好きな道をゆっくりと探しながら人生を歩んでいくという姿勢は、現代のスピードや効率至上主義の時流の中では、ややもすると消えていってしまいそうです。

 いわゆる昭和30年代にあって今にないもの、それは、ゆっくりと急がずに道を求める、温かく丁寧な手作りの感覚ではないでしょうか。

 日本の中学生・高校生は、アンケートで「疲れを感じる」「自分はダメな人間」と答える人が、アメリカや中国と比べ際立って多いと新聞に出ておりました。

 『あたまにつまった石ころが』の主人公のように、少し引いた位置で物を見て、「これしかない」というような生き方をしない、純粋な願いを胸に抱いて生きていけるように心がけたいものです。



音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。