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            愛   語

                                            (曹洞宗・海潮寺・木村隆徳)


仏教では愛語ということが説かれます.人にやさしい言葉をかけることです.道元禅師はこれを 「慈念衆生楢如赤子の懐いを貯えて言語するは愛語なり、徳あるは讃むべし、徳なきは憐むべし」と説明しておられます。

すなわち、母親が自分のあかちゃんに対するのと同じ気持で人々に声をかけるのが愛語であり、素晴らしい事をした人には心から賛辞の言葉をかけ、まともな生さ方のできない人にはなんとか早く立ち直ってくれるよう願いをこめて言葉をかけることを言うものと思います.

道元禅師のみ教えに従って生きられた良寛さんに、こんな話があります.

良寛さんには馬之助という甥がいました.馬之助はいい年なのに仕事もせずに、遊んでばかりいました。母親は心配でたまらず、ひとつ良寛さんに意見をしてもらおうと考え、良寛さんを家に招さました.

しかし、良寛さんは人に意見をするなどということは苦手でしたから、四日たっても、五日たっても意見できずに、とうとう帰り支度を始めました.

それを見た馬之肋の母親は是が非でも意見をしてくれるようにと重ねて頼んだので、良寛さんもいたしかたなく、馬之助を呼びました.

馬之助を目の前にするとやはり意見などできずにもじもじしていましたが、仕方なく馬之助にわらじを結んでくれるよう頼みました.

馬之助は言われるままに良寛さんのわらじを結びました。すると、馬之助の首筋につめたいものが落ちました.

馬之助は何だろうと上を向くと、涙をいっぱいためた良寛さんの顔がありました。それを見た馬之助ははっと気づき、それ以後すっかり心を入替え、まじめな人間になったということです.

結局、良寛さんは一言も馬之助に意見をしなかったのですが、馬之助に対するあふれんばかりの慈愛の心が馬之助を動かしたのでしょう。こういうのを本物の愛語と言うのではないでしょうか。


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