須子半兵衛 スコハンベエ


[略歴](?-1870)名は孝永、酒造業、浜崎町年寄をつとめ、文久三年、菊ヶ浜土塁(女台場)築造の際、頭取役に任ぜられた、同年国防の為町兵編成され、市勇隊が組織されたが、当家の小五郎は伍長に任ぜられ、七月十九日京都の禁門の変に戦死す。明治三年没
[墓]俊光寺 (地図)
[須子家住宅] 萩市浜崎2区(地図