清水親知 シミズチカトモ


[略歴](1843-64)幼名は清太郎、葭堂と号した、文久三年に萩藩の家老職となり、武備恭順を唱えたが、実権を握っていた保守派(俗論党)により切腹を命じられた。
[墓]東光寺 (地図)